【3.昔々――】

 

 神様は

 世界を創りました

 

◇◆◇

 

 初めて世界が出来た時、それは一体何色の世界だったのだろうか――?

◇◆◇

 気づいた時には、世界はもう二つに分けられていた。
 否、三つに。
 正義と悪の大きな塊に埋もれ、その姿が晒される事がほとんど無い少女がいたのだ。
 百人の正義。
 百人の悪。
 そのどちらでもない灰色の少女。
 それらは、神の身勝手な思いから生まれた犠牲者達だった。

 神は正義に言いました。
 君らは、創造する力を持ち他者を守る事のできる強い者だと。

 そして神は悪に言いました。
 君らは、人から何かを奪い生きていくしかできない弱い者だと。

 そして……。

 ――ならば私は何也か?

 神は一言だけ言いました。
 ――ごめんなさい、と。

◇◆◇

「やめて」
 それは地獄だった。
 そう。まるで洪水のごとくに人々の悲鳴が、嘆きが、死する音が体中に流れこんでくるのだ。
「嫌也。止めて也、嫌だ。や、ぁ!」
 消えずに残るおぞましい記憶。
 憎悪の中で苦しみ消えてゆく者達の姿が自分へと刻まれてゆく。泣いても、誰も許してはくれない。
 止まらない不快感。気持ち悪い。
 止まらない、止まらない!

 

「やめて……怖い……」

 何故、こんな事になってしまった?
 最初は世界に白い砂が積もった。

 世界にいた百人の正義は自分たちの住む場所を作り上げ、そこを住処とし暮らしていた。秩序があり、百人皆がまとまって生きていた。
 が、それができなかった悪にとってそれがどれだけ恐怖だっただろうか。
 互いに傷つけあい、ただ生きているだけの悪の者達。いつの日か、自分たちが生きていく場所が正義によって奪われてしまうのではないかと。

 ジブンラハヨワイ。
 ナラバ奪ワレルマエニ、奪ウシカナインダ。

 

 正義のように、強く生きていくことができなかったから。

◇◆◇

 神様は、上手に生きていくことができなかった。
 自分は正義なのか悪なのか決められない。
 それすらできない。
 たった、それだけの理由。

◇◆◇

 正義が作り上げた世界の一部は壊れ、ココロの世界は地面は白に、空は次第に黒くなっていった。
 そして世界が変わり果て、正義と悪が消えてゆく間に、灰色の少女は壊れてしまったのだ。
 ただ意味も知らず、ただ戦いを記録する、それだけの存在になり果ててしまった。
 それがミカタ。
 昔々の、最初の記録の物語――。

 

◇◆◇

 
 そして今――
 相変わらず世界は戦いに包まれたままだった。
 変わったといえばこの世界に生きる者の数くらいだろうか。
 あれからまた何人か消えていき、悪は、とうとう五人になってしまったのだ。
 やはり、彼らは弱かった。ミカタはそう思う。
 息を殺し、ひっそりと生きている彼らの現状が、ミカタにははっきりと伝わっている。
 しかし悪は、そんなになってもまだ正義を滅ぼそうとしていた。

 

「もう、止める也」

 

 ミカタの声は届かない。
 誰も聞き入れようとはしない。

「どうして、気づかない也?」
 ミカタは首をカクリと傾げた。
「辛いなら、悲しいなら、戦うのを止めればいいのに……。私は、もう、止めたい也」
 ミカタは悲しげに呟くと、歩いてあの砂の山を目指した。
 そして――
「……!」
 誰かが……。
 白い砂の山に、ミカタは誰かの影を見つけた。空に溶けてしまいそうなくらい、黒い姿をした男の子。
 いつもミカタが立っている山のてっぺんで身を屈め、足と体をくっつけ手で自らを抱えるように、その男の子はうずくまっていた。
「ノイン……」
 悪に生まれ落ちた男の子。
 ミカタはすぐにノインのもとへと駆け寄った。
「ノイン! どうした也? どこか痛い也か?」
 ミカタの問いかけに、ノインからの返事は無い。
「ノイン?」
「……ミカタ」
 少し間をおき、ノインは重そうに顔をあげた。その瞳は虚ろで、あの優しい笑顔が感じられ無い。
「一体どうした也か?」
「ねぇ、ミカタ」
「……?」
「僕らはあと何人いる?」
 唐突なその問いに、ミカタは一瞬言葉に詰まったが、ローブを固く握りしめると重く口を開いた。
「あと……四人、也」
「そっかぁ」
 何か諦めたようなノインの返事。そしてノインはミカタの方を見た。
「ミカタ。僕は、どこか遠くに行きたいんだ」
「え?」
 突然、彼は何を言い出すのだろうか?
「多分。ううん確実に僕らは滅ぶんだよ」
 自分には分かるのだとノインは言う。
「だから、そうなる前に僕は遠くに行きたいんだ。どこか、悪の僕にも住む場所があるか確かめたいんだ」
「……そう也か」
 ノインは旅に出ようとしていた。戦いから逃げ、生き残るために正義から逃れようとした結論だった。それがノインの願いならば、ミカタは引き止めることなどできない。

「僕らは、やっぱり間違っていたのかな?」
「……ノイン」
 昔――正義から大切なモノを奪ってしまった罪の意識。
 しかしノインは自分を責めてはいなかった。
「おかしいよね。だって僕らは悪だよ? そうして生きているんだよ?」
 奪うのも壊すのもそれが当たり前。何が悪いのか?
 正義だって、悪から見ればそれと同じではないか。
 この世界には白い砂を降らせたのは悪かもしれない。けれど空を黒く染めたのは正義だ。
「ねぇ、ミカタ。ミカタは前に僕に聞いたよね?」
 それは、ミカタが抱えていたこの戦いに対する疑問。
 何故彼らは戦うのか?神がそう仕向けたからとかではなく、仲間が消えていくのにもかかわらず、彼らが戦いを止めないその理由。ノインは出せたのだろうか? その理由を。
「神が僕らと正義を戦わせているのもあるかもね。でもねミカタ、僕は別に戦ってなんかいやしないよ」
 戦ってなどいない。
 ただ悪は、

「ただ僕は、生きていただけなんだ」

 ただそれだけ。
 つまり。
 理由など無いのだ。

「これで良いかな?」
 ノインは急に立ち上がる。ミカタは、何も言えなかった。
「じゃあ僕は行くね」
 立ち去ろうとするノインに、何も言葉が出てこない。
 その後ろ姿があまりに悲しげで。
 キュッ。
 砂の山を下って行くノインの姿は消えていき、もう見えなくなった。
「待つ也!!」
「?!」
 次の瞬間。気づいたらミカタは叫んでいた。
 何故か、理由はどうでもいい。ただ思ったことは一つだけ。
「私も、一緒じゃダメ也?」

 “一緒に行きたい”

「ダメだよ」
 けれどノインは許してはくれなかった。
「だってミカタは、悪じゃ無いじゃない」
「――っ」
 それはあまりにも冷たく、悲しい言葉だった。
 いつも側にいたのに……やっぱり違ったのだ。
 俯いて、今度こそミカタはノインを見送ろうとした。
「ミカタ――」
「――」
 見上げれば、もう遠くにノインが見える。
「ミカタは、何で記録をするの?」
 ノインは笑っている。まるで仕返しのように、意地悪そうに。
「わ……からな、い。分からない也……」
 ミカタ自身、ずっと悩ませられたこのカルマ。答えられようが無い。

「じゃあ次に会うまでに、答えを見つけておいてよ」
 その意味をミカタが理解するより早く、ノインは言った。
「また、会った時に……」
 また、会えるから。
 そう言い残し、ノインはどこか遠くに行ってしまった。

 

 

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